小林多喜二《蟹工船》节选(四)
彼等は少しでも金を作って、故里の村に帰ろう、そう思って、津軽海峡を渡って、雪の深い北海道へやってきたのだった。――蟹工船にはそういう、自分の土地を「他人」に追い立てられて来たものが沢山いた。
他们原本巴望着多少挣俩钱儿拿回老家,才渡过津轻海峡来到这冰深雪厚的北海道的。在蟹工船上,很多人都是这样被“别人”从自己的土地上逼出来的。
積取人夫は蟹工船の漁夫と似ていた。監視付きの小樽の下宿屋にゴロゴロしていると、樺太や北海道の奥地へ船で引きずられて行く。足を「一寸」すべらすと、ゴンゴンゴンとうなりながら、地響をたてて転落してくる角材の下になって、南部センベイよりも薄くされた。ガラガラとウインチで船に積まれて行く、水で皮がペロペロになっている材木に、拍子を食って、一なぐりされると、頭のつぶれた人間は、蚤の子よりも軽く、海の中へたたき込まれた。
搬运工跟蟹工船的渔工一样,在有人监视的小樽的鸡毛小店里胡乱躺着就被人拉上船。装到库页岛或北海道的腹地去。脚底下只要滑出一寸去,就被轰隆隆震天动地地滚下来的方木材压在底下,压得比南部煎饼还要薄。绞车嘎嘎地响着往船上装那些被水泡得滑滑溜溜的木材,赶巧劲儿撞一下子,脑袋开花的人就比个跳蚤仔儿还轻飘地给拉进海里去。
内地では、何時までも、黙って「殺されていない」労働者が一かたまりに固って、資本家へ反抗している。然し「殖民地」の労働者は、そういう事情から完全に「遮断」されていた。
在内地,不甘心老是一声不响就“被整死”的工人抱成了团,正对资本家进行反抗。但是“殖民地”的工人跟这种情况是完全“隔绝”的。
苦しくて、苦しくてたまらない。しかし転んで歩けば歩く程、雪ダルマのように苦しみを身体に背負い込んだ。
已经是苦而又苦了,然而越是跌跌爬爬地往前走,像滚雪球似的,苦就越发压上身来。
「どうなるかな……?」
“要落到什么地步啊……!”
「殺されるのさ、分ってるべよ」
“等死呗!这不明摆着么!”
「……」何か言いたげな、しかしグイとつまったまま、皆だまった。
“……”人们似乎想说些什么,但一下子又憋住,就全都一声不响了。
「こ、こ、殺される前に、こっちから殺してやるんだ」どもりがぶっきら棒に投げつけた。
“甭、甭等整死,咱、咱先下手吧!”结巴嘴突然冒出这么句话来。
(编辑:柳敬智)